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2020年8月27日

「人生に遅すぎるということはない」続編

1年以上前の記事「人生に遅すぎるということはない」の続き。

なかなか凄い blog を見つけた。昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

内容はなかなか悲壮感があるが、著者の文章力が高く、読み手をどんどん引き込んでいく。

今回は、その中から2か所を引用する。まずは1つ目。

高校生の時に彼女を作るということ。
今考えれば、これが自分の人生の真の意味で目的、生まれてきた理由といっても過言ではない。(女性と付き合ったことがないし、一度も働いたことがない・・・5)

著者のこの「人生の真の意味で目的」を今から達成するにはどうしたらよいか。ただし、(2つ目の引用)

女性とのデートも仮にこれからあったとしても44の男がするデートと17の男子がするデートでは人生に与えるインパクトが違うだろう。
17歳はお互いドキドキして出会うし、手をつなぐことも躊躇する。
44ではそんなドキドキはないだろう。
そういう44歳は想像するだけで気持ちが悪い。(女性と付き合ったことがないし、一度も働いたことがない・・・3)

という記述にあるように、17歳くらいの頃のドキドキ感を感じることも必要条件とする。

「人生に遅すぎるということはない」という主張をする人に、答えてもらいたい。なお、「高校生の状態で」「彼女を作る (彼女がいる状態になる)」「(17歳くらいの頃の) ドキドキ感を感じる」の3つの条件は同時に成立しないといけないし、これらの条件を変えてはいけない。


私見だが、「人生に遅すぎるということはない」という主張をする人は、「高校生じゃなくてもドキドキすることはあるよ」などと勝手に条件を変更してきて自己満足する傾向が強いような気がする。

上記の blog の著者には、少しでも安穏な人生を送ってほしい、と祈願するが、だからと言って質問の内容を「著者が安穏な人生を送るにはどうしたらよいか」などと変更することはない。


「人生に遅すぎるということはない」という主張をする人には、更に質問してみたい。私は今、「私の父本人と会話をしたい」と思い立った。この願いを実現するために「遅すぎるということはない」というのなら、その実現方法を示してほしい。なお、私の父は10年ほど前に亡くなっている。


「人生に遅すぎるということはない」が真実であるならば、私が帰省して母に顔を見せに行くのも、別に今やらなくても定年退職してからで良いだろう。なにしろ「人生に遅すぎるということはない」のだから。いや、定年直後も地域の活動で色々と忙しいだろうから、私が100歳になったら (そのころには地域活動も引退して暇だろうから) 帰省して母に顔を見せに行こう。なにしろ「人生に遅すぎるということはない」のだから。

ホント、「人生に遅すぎるということはない」という言葉は便利な言葉だ。どんな用事も、どんなに先送りしても、「遅すぎる」という状態にならないというのだから、いくらでも言い訳できる。人間をどんどん堕落させる、悪魔の言葉だ。


「人生に遅すぎるということはない」という主張をする人は、その言葉がどれだけ話をすり替えて人間をダメにしているのか、よく考えてほしい。

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