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2019年5月 6日

資本主義と共産主義、経済的自由主義と社会主義

たまには政治的な記事を書こう。

色々な定義が存在することは承知の上で、私が「こうだ」と考える定義を基に、政治思想について書いていこうと思う。

『資本論』すら途中までしか読んでいない私が書く記事は穴だらけかも知れないが、そこはご容赦願いたい。そもそも、人間の知見は日々発展していくものだし、「誰からも反論が出ないほどの充分な知見を得た」という日を待っていてはいつまでも議論の種を蒔くことができない。1年後の私の考えは今とは異なるかも知れないが、それでも現時点の私の考えを記しておきたい。

なお、申し訳ないが、comments が書かれても対応する時間がなさそうなので、comments は受け付けないことにしておく。この記事を批判したい場合は、ご自身の blog 等の上で批判していただくことになる (この記事からは辿れない)。なお、私の直接の知り合いであれば、私に会った時にこの話題を持ち出してもらって構わない。可能な範囲で、議論にはお付き合いしたいと考えている。


最初に書いておきたいこと。共産主義と社会主義を混同している人が多い、ということ。

共産主義の「共」と「産」の2文字が何を意味しているのか、説明もできずに「共産主義」という言葉を使っている人が多いように感じる。

「産」は生産手段のこと。法律用語における「果実」を生み出すモノのこと。ではその所有者は誰か。「共産主義」では、「共有」すべきと唱える。共有しているのだから、共同体 (community) の所有である、と言い換えることもできる。現代ならば、共同体とは (主に) 国家だ。

一方、社会主義という言葉自体には、所有の概念は出てこない。共産主義の主張は「社会で共有する」主張であるとも言えるから、共産主義は社会主義の一部であるが、全ての社会主義が共産主義であるとは限らない。社会の権限を大きく重視している思想なら、それは一種の社会主義だ。

共産主義と対をなすのが、資本主義だ。資本主義では、生産手段の所有者は資本家である。だから「果実」は資本家が持っていく。

別の言い方をすると、「生産手段の所有」(または果実の収穫者) という層における思想が、「資本主義」と「共産主義」だ。


所有者は所有物の処分内容 (どう活用するか、誰に譲渡するか) を自由に選ぶ権利がある。純粋な資本主義社会ならば、果実の処分内容を選ぶ権利は全て資本家に委ねられることになる。資本家でない人を生かすも殺すも、資本家の選択次第だ。果実の処分内容の選択権を得たいなら、資本家になるしかない。幸いなことに、多くの資本主義国では株式市場が整備されており、資産がかなり少ない人物であっても、(少額の) 資本家になることは容易だ。ただし、大抵は大資本家に全く敵わない。

で、今の日本は、純粋な資本主義社会ではない。純粋な資本主義社会であれば、最低賃金額などが設定されることはないからだ。純粋な資本主義社会なら、投票権の大きさは納税額の大きさで決めるべきであり、政府の政策は純粋に資本家の意向で決めるべきである。今の日本は、純粋な資本主義社会ではなく、他の力が働いている。


さて、社会主義は共産主義を含むが、共産主義以外の社会主義は、何を以て「社会」主義と定義されるだろうか。その多くは、「経済活動は社会によって計画されるべき」ということだと考えている。つまり、(共産主義ではない) 社会主義は、「所有」という層ではなく「経済活動」という層で社会の権限 (共同体や国家の権限) を大きく重視している思想である。

では、社会主義と対をなす思想は何だろうか。私は、経済的自由主義であると考える。経済的自由主義は、「経済活動」という層に於いて個人の自由を大きく重視する。


以上を整理すると、以下のようになる。

  共同体・社会の権限を大きくしたい 共同体・社会の権限を小さくしたい
「所有」層の思想 共産主義 資本主義
「経済活動」層の思想 社会主義 (共産主義を除く) 経済的自由主義

今の日本は、純粋な資本主義ではないが、かなりの経済的自由主義である。

政党の分類も再考すべきである気がする。例えば、ハコモノ行政が大好きなかつての自由民主党は、実は社会主義的側面をかなり持っていたのではないだろうか。私は、それ自体 (大きな政府) が悪いこととは思わない (失政がなかったわけでもないが)。問題は、社会のお金の何割を共同体や国家に回し、何に使うか、という点だ。

しまった、個別の政党の話になってきた。これは書くと長くなるので、今回はここまで。(今後、続きを書くかどうかは未定。)

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