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2011年4月28日

てんかんと事故

栃木県鹿沼市の国道で登校中の児童6人がクレーン車にはねられて死亡した事故の記事を読んで、考えさせられた。

亡くなった児童6人のことを思えば、この容疑者の罪は非常に重い。前科もある上、職場にも持病を隠していたというのだから、その点は強く責められるべきである。

だが、「てんかん」なのだ。「てんかん」の子の家に行ったことがあるのだが、発作があるたび、親は大変だと思う。親だけじゃない、本人だって大変なはずだ。

「てんかん」であることを隠して運転の仕事に就いたことは、もちろん大問題だ。では、この世の中は「てんかん」患者でも普通に生きていける世の中だろうか。就職差別はないだろうか。そりゃもちろん、「てんかん」患者が就くことが望ましくない職種もある。でも、「てんかん」患者でもほぼ問題ない職種もあるはずだ。そういう道はちゃんとあるだろうか。

亡くなった6人のことを思うと胸が苦しくなるが、容疑者の親の気持ちを考えると、それも心苦しい。

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2011年4月23日

支離滅裂な夢を見た

具体的な内容はここに書けなくて申し訳ないのだが、支離滅裂な夢を見た。身近じゃないあの人が登場するし、通常とは違う手法を選ぶし、そもそも PC の使い方がとんでもないし…。軽く自己嫌悪。誰にも話せない内容だし、早く忘れたい。

夢を見ている間は論理的な思考力がかなり落ちているものだが、それにしてもひどい夢だった。私が決して飲酒しない理由の1つがこれ。酔った私は、きっととんでもなく支離滅裂なことを言うだろう。周りの人は酔った私に手を焼くに違いない。私は、酒を飲んだ人間の失言は一切許さない性格だから、きっと自分のことが許せなくなる。

数十年後、痴呆症になった時の私がどんな言動をするのか、今からそれが怖い。

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2011年4月22日

自己中心教を作ってみたい

人によると思うが、親などから価値観を強く押しつけられた子どもは、その価値観と、現状と、自分の本音との間で苦しむことが多いんじゃないかと思う。「○○な自分が嫌だ」ということを言う人は、恐らく現状の「○○な自分」が、押しつけられた価値観と乖離していて、しかも自分の本音は必ずしもその価値観と一致しない、という状態にあるんじゃないかと思う。

押しつけられた価値観から抜け出すことは、子どもにとっては結構大変なことだろうと推測する。その度合いにもよるが、20代半ばまでにその価値観から抜け出すことができる人はあまり多くないんじゃないだろうか。(なお、価値観を押しつけられることと、その価値観を自分で再検討・咀嚼した上で受け入れることとは違う。)

そんなときには宗教の出番。私は「自己中心教」または「身勝手教」という宗教を作ってみたい。教義は至って簡単、「他人にあまり迷惑をかけない」などの最低限のことさえ守れれば、あとは自己中心的に振る舞うことが善である、という中身だ。ある意味、「佐倉杏子教」と呼んでもいいかも知れない。

宗教法人は、税法上もおいしそうな存在だけど、…きっとこんな宗教は実際には作らないだろうなぁ。多分私には教祖の資質があまりない。

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2011年4月21日

SimEarth ならぬ SimLaw はどうだろうか

SimEarth なる game がある。player は神の立場で地球上の生物を進化させ、文明を発達させ、最後には別の星へ移住させることが目的である game。

これを真似て、SimLaw とかどうだろうか。player は立法者の立場で無秩序な世界に法を作り、実効させ、最後は理想的な世の中を作る。法学の初学者にとっても非常に良い教材になるような気がする。

でも、構想だけでかなり大規模だなぁ…。多分、作り始めてもなかなか完成しないだろう。

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2011年4月19日

マジックミラー号?

そっち方面の話題はあまり得意じゃないのだが、blog 記事の守備範囲を少し拡げてみようと思う。

さよなら絶望放送第182回の25分経過したあたりで、こんなやりとりがあった。

投稿「渋谷や新宿に出掛ける時は、いつ、マジックミラー号の逆ナンパシリーズに出演することになっても大丈夫なよう、心の準備をしています」
神谷「なるほどね」
新谷「なにこれ?」
神谷「ヒント、夢の乗り物だよ」

神谷の反応を聞いていると、まるで、男性なら誰でも知っているよ、という感じに聞こえるのだが、実際のところは何割くらいの男性 (20代~30代の男性) がこれを知っているのだろうか。知らなかった私は少数派なのか多数派なのか、それが知りたい。(まあ、知らなくても何となく想像できてしまったのではあるが。)

英会話に関して、「英米人と会話する時は、その背景にキリスト教があるから、キリスト教についての基礎知識は身につけておく方がいいよ」というような話を時々聞くが、これと似たようなものだろうか。「日本の成人男性と話をする時は、その背景にマジックミラー号があるから、マジックミラー号についての基礎知識は身につけておく方がいいよ」とか言われるようになったら、ちょっと嫌だなぁ…。

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2011年4月15日

株式会社・合同会社の解散・清算に官報掲載が必須

突然だが、ふと、株式会社や合同会社の解散・清算時に官報掲載以外の方法が使えないか、と思い立った。なにしろ、官報掲載料金は非常に高い (1行2854円) のだ。目安として、11行 (31394円) ほどかかるらしい。会社法には官報掲載が必須であるように書いてあるけど、何か特別法や施行規則などによって他の方法が選択可能であればそれを知りたいし、だからといって特別法に当たりそうな法令を片っ端から読むわけにもいかない。なので、大学時代の後輩の司法書士に質問してみた。

すると、質問してから僅か36分で返事がきた。さすがは専門家、資料を調べなくとも頭に入っているのだな。結論としては、やはり官報に掲載しないとだめらしい。

それにしても、知人に司法書士がいると、こういう疑問を気軽に訊ける (もちろん、有料の相談に該当するなら断ってくれていい、とは言ってある)。すごいものだ。

この後輩、司法書士だけではなく行政書士 (ただし未登録) と電気工事士の資格も持ってるので、質問できる分野が広い。


司法書士 A ちゃんへの私信 : いつも助かってます。ありがとう。


せっかくなので、今回調べ物した sites の一覧。

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2011年4月14日

冷たくなった… (短文)

冷たくなった彼氏にスキンシップをせがむ方法9パターン」という題目を見て、つい「いつまでも未練を残さないで、検死してからちゃんと弔ってやりなさい」と考えてしまった私は、感覚がきっと世間からずれているのだろう。

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2011年4月13日

生と死、私は何であるのか、原発はどうするのか

私は、自分の出身小学校の第1期生である。つまり、私が小学6年に上がる時に私の母校が完成し、真新しい校舎を最上位学年として使うという光栄に恵まれた。

その時の担任の先生がこの真新しい校舎で最初に行った授業の内容は、なんと「死」であった。その先生は真新しい黒板にでかでかと「死」という文字を書き、その文字は黒板消しで消してもしばらくうっすらと残っていた。

死について私がそれなりに考えた最初の体験は、このときの授業である。しかしその後、私の身近に死はなかった。いや、従姉妹が25歳の頃に亡くなったし、父方の祖母も亡くなったから、死がなかったわけではない。しかし、本当に死を身近に感じたのは、やはり父の死であった。

それ以来、この社会、この歴史の中での自分の役割というものを考えることが多くなった。死が怖くなくなったわけではない。しかし、自分の死は未だに身近に感じられないから、その怖さは意識的に遠ざけておくことができる。そうすると、自分がこの社会・この歴史の中の一部の存在である、という一歩引いた視点から自分が何であるのかを考えるようになる。


原発反対派の人に訊きたい。原発をやめるとしたら、この社会は持続可能なのだろうか。限りある既存の energy は、恐らくあと数百年でなくなるだろう。その後の子孫には、どうやって暮らせというのか。高速増殖炉を実用化して原子力を有効活用しない限り、もうまもなく歴史は先細るのではないか。

原発推進派の人に訊きたい。原子力は人間が本当に制御可能な技術なのだろうか。原子力を手懐けたところで、数万年後にはやはり資源が枯渇したりしないだろうか。それより後の子孫には、どうやって暮らせというのか。

私に自問自答。我々は、いったいどれくらい未来のことを考えて生きたらいいのだろう。数百年や数万年先のことなら、普段から考えて生活しているつもりだ。だが、その先のことは本当に検討もつかない。まあ、数十億年後には太陽の寿命が来るから、さすがにそこから先のことは考えなくてもいいだろう。それまでの間に別の星系への移動手段が見つかるよう、祈るのみだ。

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2011年4月12日

blog の分野が変わると読み手が変わる

この blog の記事は、特定の話題に集中しないように留意しながら書いている。なので、政治・科学・PC・育児・法律・地域などの分野があまり連続せずに現れるようにしている。

で、興味深いことに、記事の分野によって読み手が変わる。mixi の「あしあと」機能によって、どういう分野の記事だと誰が読んでくれるのか、その傾向が分かる。「後で読もう」を毎回読んでくれる人、PC 関係の記事になると読んでくれる人、育児の話題だけ読んでくれる人。ありがたいことに、どんな内容でも毎回読んでくれる人もいる。

私の興味範囲はどちらかと言えば広い方じゃないかと自分では思っているのだが、それでも書けない分野もある。料理分野は苦手、動植物も苦手。芸能関係もほぼ書けない。まあ、いずれ興味が出たら書くかも知れない。

この記事を読んでくれる人がいることに感謝。

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2011年4月11日

activerecord 導入時に rdoc 生成に失敗する

MS-Windows 上で activerecord を導入しようとすると、なぜか rdoc 生成に失敗する。

>gem install activerecord --version=3.0.6
Successfully installed activerecord-3.0.6
1 gem installed
Installing ri documentation for activerecord-3.0.6...
ERROR: While generating documentation for activerecord-3.0.6
... MESSAGE: Invalid argument - ./</cdesc-<.ri
... RDOC args: --ri --op C:/ruby-1.8/lib/ruby/gems/1.8/doc/activerecord-3.0.6/ri --main README.rdoc lib README.rdoc --title activerecord-3.0.6 Documentation --quiet

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2011年4月10日

苫米地英人を少し見直した

いやいや、「見直した」ってのはちょっと失礼な表現だ。私は、これまでその風貌から苫米地氏を胡散臭く感じていたが、放射線に関する blog 記事を読んで「この人は私が言いたいことを書いてくれている」と感じるようになった、というのが正しい。

そう感じた部分は以下の通り。

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2011年4月 6日

地名の粒度と人口

前回の話の続き。地名の粒度について。

私の実家がある札幌市西区 (人口:約21万人) には、琴似・小別沢・西野・西町・二十四軒・八軒・発寒・福井・平和・宮の沢・山の手、の全部で11個の地名がある。この地名の下には、条・丁目・番・号、または条・丁目・番地という表記しか出てこない。ここではこういった地名 (より下位区分がない地名) を「素地名」と名付けよう。

私の妻の実家がある京都市西京区 (人口:約15万人) には、嵐山・牛ヶ瀬・大枝・大原野・樫原・桂・上桂・川島・京都大学桂・御陵・下津林・下山田・松尾・松室・山田、の全部で15個の地名がある。これらは素地名ではなく、例えば嵐山を例に取ると、嵐山の下に朝月町・内田町・上海道町・上河原町・北松尾山・元録山町・虚空蔵山町・谷ケ辻子町・茶尻町・中尾下町・西一川町・東一川町・東海道町・樋ノ上町・風呂ノ橋町・宮ノ北町・宮ノ前町・宮町・森ノ前町・薬師下町・山田町・山ノ下町の22個の素地名がある。

何という粒度の差! 札幌市西区では1つの素地名に平均2万人程度住んでいるが、京都市西京区では1つの素地名に数百人しか住んでいない、という計算になる。

全国の政令指定都市の中で、素地名あたりの人口が最も多い (つまり地名粒度が大きい) 都市と最も少ない (つまり地名粒度が小さい) 都市とでどれくらいの差があるのだろうか。気になる。まあ、恐らく札幌市は地名粒度がかなり大きい方だろう。ふと、浜松市天竜区もかなりだろうな…と思ったが、あそこは人口密度が非常に低いから、さほどでない可能性が高い。

余談。私の実家は「○条○丁目○番○号」という4つの数値が出てくる素地名だった (札幌市内の多くの素地名も同様) ので、隣の素地名が「○丁目○番○号」だけで「○条」がない (数値が3つしか出てこない) ということを知って「何と小さな素地名なんだろう!」と感じたものだが、関西に出てきたら数値4つの素地名を見たことがない。かなりびっくりした。今でも違和感がある。

更に余談。「素地名」などという造語を持ち出してきたが、本来なら大字・字・小字という言葉がある。ただ、それぞれの素地名が元々大字だったのか字だったのか小字だったのかを調べるのが面倒なので、「素地名」を定義した。

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2011年4月 5日

京都の通り名

ジオどすなる京都地図 API を見つけた。その中に京都の通り名という説明がある。

京都の通り名表記は動きを基にした一種のナビゲーションであって、「そのとおりに動けばとおりのどちら側かに見つかる」というもので、一点を表すものではありません。ある程度の範囲は特定できますが、厳密な位置の指定は不可能です。

そうだったのか。道理で北海道人の私にはかなり理解しにくいわけだ。さらにびっくりしたのが以下の記述。

次の交差点までのどこかにあるが、距離は特定できない。近い方の交差点から言うという規則はない。例えば下図のように交差点CとDの間のXを表す場合Cの方が近いから「C東入ル」とは限らず、 「D西入ル」のどちらでもよい。

何という不合理な仕様。つまりこれは、A という表記と B という表記が違う場所を指しているかどうかが文字列からは判断できないことを意味する。言い換えれば、StandardAddress#== の実装は文字列比較だけで済むが KyotoAddress#== の実装はそんな生易しいものではないことを意味する (あ、もちろん StandardAddress#== においても表記の正規化は必要だから、厳密には文字列比較だけではない)。

まあ、でも、京都市内の住所表記の方法は京都市民が決めることであって、部外者が口を挟むことではない。京都は日本における歴史観光都市という役割を担っており、その住所表記を合理化して京都らしさを失ってしまってもよいとは簡単に結論づけられないだろう。外来者にとっては不便だが、仕方ない。

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