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2010年7月31日

父、死す (相続放棄篇)

父の死去に伴い、家庭裁判所にて相続放棄の手続きを行った。と言っても、父に多額の借金があったわけではない。私の実家 (北海道) から見て私だけが遠隔地 (大阪) に住んでいるので、相続放棄の手続きを行っておけば、今後銀行口座などが見つかろうと全て実家だけで処理できるためだ。

ただ、相続放棄の手続きは少々面倒だった。具体的には、(1) 必要な戸籍を集める (2) 家庭裁判所に申述 (3) 2週間ほどで家庭裁判所から受理通知の送付 (4) 受理証明の請求 (5) 家庭裁判所から受理証明の送付、という手順だった。(受理証明書でなくても受理通知書の写しがあればよい場合は、(3) まででよい。また、人によっては家庭裁判所からの照会があるらしい。) 遺産が全て明らかになっているなら、遺産の相続手続の数だけ遺産分割協議書を作り印鑑証明を取得する方が楽だ。

さて、家庭裁判所から送られてきた受理証明書なのだが…住民票の写しのような地紋も入っていないただの紙に、公印が押してあるだけ。この程度の作りだと、一般人でもかなり簡単に偽造できてしまうようで心配だ。もちろん、記載されている事件番号を元に家庭裁判所に問い合わせば、真正か偽造かが明らかになるが、「受理証明書」と書かれた紙を受け取ってそこまで確認する人は少ないだろう。また、裁判所の公印の印影を見たことがある人も少ないのではないだろうか。

Sozoku_hoki

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2010年7月27日

息子が人形遊び (役割遊び) を始めた

見出しの通り、今日初めて息子が役割遊び (人形と自分との会話) を行った。息子の発話は、ほぼ全て過去の親の発言を元にしている。

具体的には、Winnie-the-Pooh の人形を持って、この人形に対して躾を始めたのだ。この人形、胴体がバネでできていて、体が揺れると「I love you. I love you. I love you.」としゃべる。それに対して息子が「大きな声出したらあかん」と言い始めた。

人形を寝室に持ち込んで、自分にぶつからせた後、「ごめんなさい、は?」と言ったり、私の脇に人形を置いて「お父さんと一緒に寝とき」と言ったり、傍で聞いていた私は笑い声を抑えるのに苦労した。

あぁー、ついに人形遊びか。子どもの成長は本当に早いものだ。

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2010年7月26日

行政書士の参考書が面白い

最近、この blog では政治や法律の話が多い。これは、私の父の死去に伴う遺産相続や、(私たち夫婦ではないが) 離婚など、身の回りに関連することが多かったためでもある。

そんなわけで、行政書士に興味を持ち、図書館から『出る順 行政書士 合格基本書』なる本を借りてきて部分的に読んでいる。この本が、私にはかなり面白い。

基礎法学の章から、一部を引用しよう。

法は国家によって維持されるものですが、宗教は神仏を中心とし、信仰によって維持されるものです。よって、信仰する者にとっては、宗教も守るべき規範ですが、信仰しない者にとっては、守る義務はありません (強制力は伴いません)。(p.188)

何を今更、当然のことを…などと思うかも知れない。そりゃ、こんなことは分かっている。しかし、他人から説明を求められた時にこのように簡潔に言い表せるだろうか。ついでにもう1点。

まず、法は外部の行為 (外に出た行動) を規律しますが、道徳は内面の行為 (心理) を規律します。(p.189)

結局、法律とは国作りの問題だ。自分たちが住む国をどういう国にしたいか、政策選択としては選挙があるのだが、もっと根本的な、明文化された規則として憲法や法律があり、それらを学ぶには行政書士の参考書は入門書として適しているように思う。

こんな事を今更嘆いても仕方ないのだが、中学生の頃に行政書士の本に出会っていれば、もっと楽しかっただろうなぁ…などと考えてしまう。中学校の公民の教科書は、内容が薄い (言い出したらきりがないが、高校の政治・経済の教科書も内容が薄い)。あまり興味を持たない学生もいるだろうから、学習範囲を増やせとは主張しないが、興味ある学生のために更なる学習の指針を示してほしかった。法律職・行政職にはどのようなものがあって、どのような難易度で、どの部分が独占業務で、そしてどのように面白いのか、中学教員がもっともっと語ってくれたらよかったのに。(まあ、法学よりも情報科学の方が好きなので、私が法律職に向かうことはなかったと思うが。)

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2010年7月21日

公証役場を通した文書は非常に強力

普段利用しない駅の近くの少々寂れた古本屋で、別冊宝島編集部編『怪しい広告』(宝島社, 2000年) という本を見つけた。その中の p.138 に、最近気になりだした公証役場に関する記述 (公正証書に関する記述) があったので、引用する。

また、普通の人がどれだけ認識しているか疑問だが、公正証書のもつ威力は凄まじい。とくに「強制執行認諾つき」といわれるものは裁判所の判決並みの威力をもつ。いや、裁判が必要ない分、それ以上ともいえる。

これは、本当にそうだ。公証役場を通すことで、次のことが可能になる。

  • 離婚後の養育費送金が途絶えた時に備え、強制執行認諾つきの離婚協議書を作ることで、裁判せずとも強制執行が可能になる (養育費の取り決めを交わしても8割は途中で送金が途絶えるらしく、強制執行のために裁判を起こすと数ヶ月の時間と数十万円の費用がかかる)
  • 遺言執行者を指定した公正証書遺言をのこすことにより、死後の遺産分割が非常に楽になる (自筆遺言の場合は家庭裁判所の検認が必要だし、遺言がなければ相続人全員の印鑑証明と共に遺産分割協議書を作らなければならない)

裁判で争うような事態になってからでは遅い。そうなる前に、合意できることは公証役場で文書にしておく (費用はかかるが、公証人に出向いてもらうことも可能だから、「公証役場で」という表現は正確ではない)。とても大切なことだ。中学校の社会科で教えておく (ちょっとでも触れておく) 方がいいのではないだろうか。

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2010年7月19日

スーパー戦隊の主題歌と仮面ライダーの主題歌

息子がスーパー戦隊や仮面ライダーに興味を持つので、我が家の関連 DVDs の枚数は増える一方である。今日は主題歌の話。

スーパー戦隊シリーズは、仮面ライダーシリーズよりも低年齢層を対象としている。そのことを顕著に表す例の1つが、主題歌だ。仮面ライダーシリーズの主題歌は、裏拍で始まるものが多く、覚えにくいものも多い。それに対し、スーパー戦隊シリーズの主題歌は、表拍で始まるものが多く、旋律も比較的単純であるため、覚えやすい。息子が「炎神戦隊ゴーオンジャー」のサビを1回聴いただけでその部分を歌い出したのには驚いた。

しかし、副作用として、スーパー戦隊シリーズの主題歌はどれも似通ってくる。歌詞の「○○戦隊○○ジャー」の部分は、他の作品と置換可能であることが多い。

余談。私は小さい頃、これらの作品をあまり見ていなかった (秘密戦隊ゴレンジャーだけは見ていたらしい)。戦闘場面を見るたび、「どうして飛び道具を使わないのか、戦闘の勝敗は遠距離攻撃こそが要ではないのか」などと考えていた。しかし今となっては、肉弾戦が美しいと感じる。特に、仮面ライダーのライダーキックの姿勢の美しさと CG による破壊力表現との組み合わせが、とても好きだ。(遠距離攻撃だけでは、仮面ライダーの強さは表現しにくい。)

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2010年7月17日

千葉法相は大臣を辞める必要はない

落選法相、打算で留任 『有権者を愚弄』批判に『適任者』強弁」という記事があった。国会議員の発言のうち気になる部分があるので、引用する。

「絶対理解されるはずがない。千葉氏は大臣として戦って負けた。国民感情にもとる。神奈川県民を愚弄(ぐろう)していることにもなる」
産経新聞の取材にこう憤るのは民主党の長尾敬衆院議員(大阪14区)。

ちょっと待ってくれ、「千葉氏は大臣として戦っ」たのか? それはどういう手続きで「大臣として戦」えるのか? そんな手続きが公職選挙法に定められているのか? 手続きがない以上、千葉法相はどんな演説をしようと「大臣として戦」うことはできない。

そもそも、憲法第68条によって、大臣は (半数未満まで) 国会議員でなくても良いことが示されている。だから、法的には何の問題もない。

ただし、民主党の議員として、現職大臣が選挙で落選したら大臣職も辞職するという規則を党内でつくりましょうという提案をする分には構わない。憲法や法律に反しない限り、党内でどのような規則を作るかは党が決めることだからだ。

その点で不可解なのは、次の部分である。

当然ながら自民党などの野党は「千葉氏は国民の審判を受けて落選した。法相としての存在意義をすでに失っている」(自民党首脳)と、批判のボルテージを上げる。

こんなことを自由民主党が言うのはおかしい。千葉法相が国民の審判を受けた内容は国会議員を続けられるかどうかであって、法相を続けられるかどうかについては審判を受けていない。そもそも大臣の任命は首相の専権事項であり、他党の者 (を含む、民主党以外の者) が勝手に選挙結果と結びつけて論じてはいけない。主張するなら、選挙結果に関わりなく「そもそも法相として適していない」というような主張にすべきだ。(そういう主張がなされれば、私も「そもそも適任だ」と言えるほどの材料は持っていない。選挙結果と結びつけて論じられることに納得がいかないのだ。)

国会議員までが勝手に法をねじまげて解釈し主張するとは、かなり憂うべき事態だと思う。

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2010年7月14日

自己破産の分水嶺

最近、妻と自己破産について話をすることがある (私自身や妻自身に自己破産の危機があるわけではない)。私は、以前 web 上で読んだ「借金総額が200万円を超えると自己破産するしかない」という記述を思い出し、そのような話をした。もちろん、人によって可処分所得は違うから、200万円という線も人によって違うものだが、それでも自己破産せざるをえない分水嶺は誰にでもある。

では、具体的にどれくらいなのだろうか。これに関して、とある記述を見つけた。

破産に詳しい専門家の話によると,次の式で出た金額以上の借金をすれば,破産するしかしかたがないそうです。
その式とは,毎月の返済可能金額(毎月の手取りから生活費を引いた金額)×12×5カ月です。
この式に〔返済可能金額が5万円であると〕当てはめると,5万円×12カ月×5=300万円

もし借金がある人がいたら、ぜひその分水嶺を認識して欲しい。引き返せないところまできたら、あとは破産に向かって流されていくしかないのだ。

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2010年7月12日

既婚者の深夜無断外出は信用できるか

先日、妻と会話していて、とある話題から「既婚者の深夜無断外出は信用できるか」という話になった。

妻も子どもも寝入っている時間帯にこっそり夫が出ていったら、それは怪しい。そこで電話でもしていようものなら、「女がいるのではないか」と勘ぐられることだろう。では、妻子が実家に帰っているなど、自宅に1人しかいない場合はどうだろうか。

私だったら、外出する可能性がそれなりにある。家族と一緒にいたらそれなりの食事が家にあるが (自分が料理する気もおきるが)、自分1人だったら、まずもって料理などしない。そうすると、残り物を食べるか、乾麺など安易な食事で済ませるか、という感じで食生活が悪くなる。そういう時には、GUSTO など24時間営業の食堂が役立つ。

一人暮らしの頃は、早く読み終えてしまいたい本を1~2冊持って午前1時~2時頃に GUSTO に行っていたものだ。週末の深夜だとちょっとうるさいが、それでも飲み放題の飲み物を飲みながら深夜に「目の前の本を読むしかない」という状況を作り出せば、気分はわくわくする。長距離客船や寝台列車に乗った時のような、そういうわくわく感だ。

そんなわけで、妻に「本を読みたい時もあるし、深夜の外出はアリじゃないか?」と言ったら、妻から「それは中尉が本好きだから例外的であって、普通はそうじゃない」と言われた。

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2010年7月11日

ネギの定義、靴の定義

ここを読んでいるあなたに質問。あなたが拉麵店の店員だとして、客から「ネギを抜いて下さい」と言われた場合、どう解釈するだろうか。

  1. 長ネギは抜く。タマネギは抜かない。
  2. タマネギは抜く。長ネギは抜かない。
  3. 長ネギもタマネギも抜く。

私は ネギ={長ネギ, タマネギ} と考えているから長ネギもタマネギも該当すると解釈するが、妻によると、関西では ネギ=長ネギ と解釈されることが多いという。

私は関西流の解釈に違和感を感じ、質問した。「例えば、靴という概念には短靴も長靴も含まれるでしょ?」

妻は答えた。「こっちでは短靴という言い方をしない。」

私は更に質問した。「じゃあ、夏靴と冬靴は?」

妻は答えた。「関西にはそもそも冬靴というものが存在しない。」

お国の違いか。言葉の定義、概念の範囲は、人によって (特に出身地によって) 違いがあるものだなぁ。

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2010年7月 9日

投票日まで短し、投票せよ国民

ゴンドラの唄「命短し、恋せよ乙女」を真似たつもりだが、どうにも語呂が悪いなぁ。

さてさて、参議院選挙の投票日が近づいてきた。日本は政党政治の国だから、大部分の候補者は何らかの政党の公認や推薦を得ており、候補者の基本姿勢がうかがえる。私自身には政党の好き嫌いがあり、選挙結果には一喜一憂する。

他人と政治の話をする時、政党の好き嫌いが私に近い人ほど話しやすいことは事実だが、世の中は違う考えの人もいるし、そういう人たちと議論して投票によって国の将来を決めることこそが民主主義だ。その点では、政党の好き嫌いが私に近いけど投票しない人よりも、政党の好き嫌いが私と大きく異なるが投票する人の方が、私は好きだ。

なので、投票権がある人は投票を! 投票日にどこかへ出かける可能性が 1% でもある人は、ぜひ期日前投票を! どの候補者でも、どの政党でもいい、とにかく自分の投票権を行使することが民主主義の基礎だ。

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2010年7月 7日

父、死す (手続き篇)

私が父の死を知った時は、急いで職場を早退して自宅で礼服を用意して空港に行っても最終の飛行機に間に合わない時間帯であった。そのため、翌朝一番の飛行機を予約し、葬儀出席の準備をする余裕があった。

出発前夜、父が亡くなったという実感が湧かなかった。そこで、「冷静でいられるのも今のうち」と考え、死亡に伴う手続きを一通り調べておいた。

最も大変そうな手続きは、不動産の名義変更だ。実際、通夜や告別式や繰り上げ法要を済ませた後、法務局に出向いて話を聞いた際にも、手続きが大変そうに感じた。


以下は、私の理解。私は法の専門家ではないので、以下の記述はあまり鵜呑みにしないで欲しい。

まず、被相続人 (死去した人、私の場合は父親) から見て相続人 (相続の権利がある人) を全て洗い出すため、生まれてから死ぬまで (実際には男性の場合15歳程度から死ぬまで) の全ての戸籍謄本 (全部事項証明書)、除籍謄本、改製原戸籍謄本が必要。1カ所の市区町村役所で全てが揃うことはまずなく、必要に応じて郵送で請求する。

被相続人の財産を全て明らかにする。生前に財産目録など作ってくれていればやりやすいが、そうでなければ自力で調査。

遺言がないかどうか調査。公証役場に出向いて「遺言検索」をしてもらう。ここで遺言が見つかれば、(そして遺言執行者が指定されていれば) その後の手続きは楽になりそうな感じ。ここではなく自宅などで自筆の遺言が見つかった場合、一旦家庭裁判所に出さなければいけないので、大変そう。

遺言がなければ、原則、相続人全員の実印と印鑑証明を揃え、遺産分割協議書を作り、各局に提出。…とは言っても、最も厳密な手続きを行っているのは (多分) 法務局だけで、自動車の名義変更などは手続きが甘い。


父の名義だったものがどんどん名義変更されていく様を見るとちょっとだけ感傷的になるが、やらなければならないことだから仕方ない。

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2010年7月 4日

父、死す (感謝篇)

通夜の挨拶と告別式の挨拶は、喪主である母に代わって私が述べた。通夜の日の昼にその役割を任され、短時間で考えた。陳腐な内容を避けること (父独自の内容にすることが供養になると考えているため)、事前原稿 (アンチョコ) を作らないこと (読み上げるだけの挨拶は聞き手に気持ちが伝わりにくいため)、という私自身が決めた制約の中で、それなりの挨拶ができたと思う。

その内容の一部の話。私が小さい頃、父は、泥棒以外なら何になっても良いと言ってくれた。子どもの将来に制約を付けたがる親が多い中で、この一言は大変ありがたかった。今、私が自分の好きな仕事に就いていられるその最大の要因は、この一言 (及びここには書かないがもう一言) である。天職につけたこと、父に感謝している。

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2010年7月 2日

父、死す (感受篇)

生前の父の酒量が多かった時、私は父と頻繁に口喧嘩した。最もひどい時期は、父は毎晩酒を飲み、私は毎晩父を罵倒した。正直に言うと、その頃は父が憎かった。だがある時から、父は反省したのか殆ど酒を飲まなくなった。その後、酒量が少し戻ったが、酒が原因で喧嘩になる頻度は激減した (年に1回あるかないかだった)。

最もひどい時期、私は確かに父が憎かったはずなのだが、今となってはその感情が思い出せない。どうしてだろう。


私は、非常時に冷静でいられる性格だと思っている (平時はそうではないかも知れない) が、それでも父の遺体と対面した時はやはり悲しい感情が湧いて涙腺がゆるんできた。死去の日の朝まで一緒に暮らしてきた母や妹は、私より遙かに多くの感情が湧いてきたのではないかと思う。特に母は、若かりし頃に生涯の伴侶として父を選び、死別の日までの約40年間を一緒に過ごしてきたのだ。その心境を考えると、心苦しい。


父は、最後の日の朝も味噌汁を作り、母と妹を家から送り出していったそうだ。私は、これは幸せな死に方だったんじゃないかと思う。


1つ、後悔していることがある。父が死ぬ前にもう1回だけ、私の息子 (父からみると初孫) を連れてきたかった。そりゃ、毎日連れてくるようなことができれば最善だが、それは交通費面でも勤務日面でも無理な話だから、妥当な頻度で連れてくるのが適切だし、だからこそ毎回「もしかしたらこれが最後かも知れない」と覚悟することが大切だ。私は、毎回覚悟してきた。毎回覚悟してきたのだから、私は私の行動指針を守ったことに満足していいはずなのだ。

…なのに、もう1回だけ多く連れてきたかったと感じる。「後悔先に立たず」とはよく言ったものだ。

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2010年7月 1日

父、死す (詳細は後日)

先日、父が死去したとの知らせを受けた。その日の最終飛行機は時間的に厳しく、翌朝一番の飛行機に乗って札幌に来た。通夜、告別式、火葬、繰り上げ法要を終え、今は休みたい。父に関して感じるところは、また後日書こうと思う。

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